奈良県橿原市にひっそりと佇む今井町。
江戸時代から時が止まったようなこの町で、ひときわ異彩を放つ「お城」のような大邸宅があります。
それが今回ご紹介する「今西家」。
なんと天皇陛下もご訪問されたというこの家は、国の重要文化財でありながら、今も人が暮らすまさに「生きた歴史」。
なぜこれほどまでに堅固な造りなのか?その秘密を解き明かしながら、プラチナファミリーが守り続ける驚きの歴史と暮らしに迫ります。
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「民家初の国宝」に最も近い場所。18代当主・今西啓仁氏が語る、400年の誇り
当主によるお出迎え: 歴史の教科書から飛び出してきたような大屋敷の門をくぐると、現当主である18代・今西啓仁さんが温かく迎えてくれました。
生きた歴史を繋ぐ: 「ここは博物館ではなく、今も私たちが生活している家なんです」という言葉に、伝統を守り抜くプラチナファミリーの覚悟が滲みます。
国宝への期待: 建築史の専門家からも「民家初の国宝」と目されるその圧倒的な構造美。18代にわたり一度も絶やすことなく守り続けてきた情熱が、その評価を支えています。
驚きの交友録!先祖はあの「松尾芭蕉」のパトロンだった?
文人たちが集うサロン: 江戸時代の今西家は、単なる町の統治者だけでなく、俳諧(はいかい)などの文化を愛する文人墨客が集まる「文化の拠点」でもありました。
芭蕉との絆: 18代当主・今西啓仁さんのご先祖は、旅を愛した松尾芭蕉とも深い親交がありました。芭蕉が今井町を訪れた際、今西家やその周辺の門人たちが手厚くもてなしたという歴史は、この家が単なる「権力者の家」ではなく「文化を愛でる風流な一族」であったことを物語っています。
家宝が語る歴史: 屋敷には、当時の文人たちとの交流を証明する書画や記録が今も大切に保管されています。
国宝級のお屋敷!今西家
徳川家康の孫が授けた「今西」という名
今西家の歴史を紐解くと、まず驚かされるのがその「名字」の由来です。
もともとは別の姓を名乗っていましたが、徳川家康の孫(松平忠明公)の勧めにより、「今井町の西の端を守るように」という意味を込めて「今西」と改名しました。
まさに、幕府から町の守護者として全幅の信頼を寄せられていた証。
名字そのものが、この町の平和を守る「盾」としての誇りなのです。
世界を魅了するプラチナファミリー。チャールズ国王との秘話
今西家の凄さは、江戸時代の歴史だけではありません。
先代である17代目・啓二さんの父は、なんと現在の英国王・チャールズ国王とも親交がありました。
案内された応接室に足を踏み入れると、そこには洗練されたアンティーク調の家具が並び、日本の伝統建築の中に西洋の気品が溶け込んだ、独特の重厚な空気が流れています。
天皇陛下をはじめ、世界のVIPがこの空間で過ごされた時間を想像するだけで、背筋が伸びるような緊張感と感動に包まれます。
総敷地面積880坪!屋敷の中に眠る「お白洲」
一歩足を踏み入れると、そこには880坪という圧倒的な広さの敷地が広がっています。
現代の住宅地なら数件が余裕で収まるこの広大な空間こそが、今西家の権威の象徴です。
さらに驚くべきは、自宅の中に「お白洲(裁判所)」が現存していること。
かつてこの場所で、当主が町の人々の争いごとを裁き、秩序を守っていました。
民家の中に司法の場があるという事実は、今西家が単なる「富豪」ではなく、命と暮らしを預かる「統治者」であったことを物語っています。
天皇陛下がご覧になった「日本の至宝」
これほどまでの歴史と格式を備えた今西家だからこそ、天皇陛下(当時皇太子殿下)もわざわざ足を運ばれました。
18代当主・今西啓仁さんが大切に守り続けるこの屋敷は、まさに「民家初の国宝」という期待を背負うに相応しい、日本の宝そのものです。
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家宝が語る日本史。名だたる偉人たちとの絆
今西家に代々伝わるお宝は、教科書に登場する偉人たちとの深い交流の証です。
① 幕末の英傑・勝海舟からの贈り物 今西家を訪れた際、勝海舟本人から直接贈られたという掛け軸(書)。激動の幕末、勝海舟が今井町のこの屋敷に立ち寄り、当主と何を語り合ったのか。
② 俳聖・松尾芭蕉を支えたパトロン 旅に生きた松尾芭蕉を、経済的・精神的に支えていたのが今西家でした。
③ 徳川家康から授かった「なぎなた」 徳川家康公から直接下賜されたという「なぎなた」。家康の孫による命名だけでなく、家康本人からも武具を授かっていた事実は、今西家が江戸幕府にとってどれほど特別な存在だったかを物語っています。
④ 学問の神様・菅原道真ゆかりの天満宮 驚くべきことに、屋敷内には菅原道真から頂いた「硯(すずり)」をご神体として祀る天満宮が存在します。学問の神様との縁まであるとは、まさにプラチナファミリーの極みです。
⑤ 覇王・織田信長から授かりし刀 かつて敵対した歴史を超え、織田信長からその実力を認められて下賜されたという「刀」。
街全体がタイムトラベル?橿原市「今井町」とは
富の象徴: 江戸時代の姿がほぼ完全に残る日本最大級の伝統的建造物群保存地区。
防御の街: 周囲に堀を巡らせた「環濠集落」で、外敵を拒む独自の自治体制を築いた。
まるでお城!今西家住宅が「国宝級」と呼ばれる理由
八棟造り: 複雑に重なる屋根と白い漆喰壁が特徴。一見すると武家屋敷やお城のような威容。
建築価値: 日本の民家建築の頂点の一つ。1650年建立当時の姿を今に伝える重要文化財。
天皇陛下も訪れた「プラチナファミリー」今西家の家系
最高責任者: 代々「惣年寄(そうとしより)」として、町政・司法・警察権を掌握した名門。
皇室との縁: 天皇陛下(当時皇太子殿下)をはじめ、多くの皇族が視察に訪れる「街の顔」。
知ると震える…屋敷の中に「裁判所」と「牢屋」があった?
独自の司法: 自治権を認められていたため、屋敷内に罪人を裁く「お白洲」や「牢屋」が存在した。
信長との絆: 織田信長から自治を認められた「赦免状」を家宝として守り続けている。
400年の時を超えて守られる名家の精神
伝統の継承: 単なる建物の維持だけでなく、名家としての誇りと街の歴史を次世代へ繋ぐ使命感。
400年の時を超え、今を生きる「究極のプラチナファミリー」
奈良県橿原市、今井町の西端に鎮座する「今西家」。
そこは単なる古い屋敷ではなく、日本史の主役たちがその足跡を刻み、今もなお18代当主・今西啓仁さんによって息づいている「生きた宝箱」でした。
徳川家康の孫によって授けられた「今西」の名、織田信長や家康から下賜された刀剣、そして松尾芭蕉や勝海舟との深い交流。
さらにはチャールズ国王との国際的な絆まで……。
880坪の広大な敷地に眠る「お白洲」やアンティーク調の応接室は、この家が歩んできた激動と栄光の歴史を静かに物語っています。
「ここは博物館ではなく、家なのです」
当主のその言葉通り、天皇陛下も訪れたこの聖域は、家族の絆によって今日まで守り抜かれてきました。
私たちが今西家で目にするのは、単なる「国宝級の建築物」ではありません。
それは、時代が変わっても決して変わることのない「伝統を守り抜くという、究極のプライド」そのものなのです。
もしあなたが今井町を訪れることがあれば、その重厚な門構えを前に、ぜひ一度立ち止まってみてください。400年前の風が、今のあなたに何かを語りかけてくれるはずです。
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